曺貴裁監督のパワハラ報道と法律・JFA規定について

湘南の監督にパワーハラスメント(以下パワハラ)疑惑が浮上し、にわかに喧しくなっている[参照]。従前から氏の指導はスパルタ的であることが知られており、それをパワハラとすることに不満を示す意見も散見される。

しかしながら、世間一般の倫理規範として、あるいは厚生労働省の方針として、パワハラはなくすべきとする方向に動いている。JFAも2012年の桜宮高等学校バスケットボール部体罰自殺事件を受けて「サッカー界から体罰や暴力行為を撲滅」「サッカーの活動における暴力根絶」等強い口調で意思表示をしており、実際通報窓口を設置するようになったことから、体育会系にはありがちだからとなあなあな判断で済ますということには考えにくい。このような背景を前提として、厳しい判断が行われた場合どうなるかについて軽くおさらいしていく。

パワハラの基準はある程度明示されている

今回監督を擁護する発言で一番多いのは「どこまでがパワハラか分からない」「人によるし、私は感謝している」「スパルタのほうが伸びる選手がいる」といった意見であろう。このような疑問は一般就業環境でもパワハラが問題視され始めたときにも多く出たようで、厚生労働省は2012年にはガイドラインを出し始め、「パワーハラスメントの定義について」などの文書を公開している。またJFAも体罰対策として懲罰規定に具体的な例を加えるようになっている[参考]。これに基づいて、報道にある曺監督の行動を振り返ってみよう。

報道によれば、監督は以下のような行動を行ったとされる。

同監督は、複数人の前でチーム関係者の能力を疑問視したように「どれだけ無能なんだ」「お前はウソつきだ」などと人格を否定するような発言を行った。また机をたたいたり、扇風機を蹴りながら選手に罵声を浴びせる行為が日常的にあった、とされる。精神的な苦痛や過度のプレッシャーから練習場に行けず、うつ病などを発症した関係者もいたという。

スポーツ報知 【湘南】曹貴裁監督にパワハラ疑惑、Jリーグが今月中にも調査へ 2019年8月12日

選手、スタッフの前で扇風機を蹴飛ばし、壊した台数は複数。激高してペンを床にたたきつけることもあった。……ある選手はグラウンドに出ると嘔吐を繰り返すようになった。関係者は「ウオーミングアップ中に“ちょっと、トイレに”とトイレに駆け込むんです。戻ってくると“吐いてきました”と」。精神的な苦痛が体に不調を起こし、パフォーマンスは低下するばかり。次第にその選手は練習場に来ることすらできなくなった。

日刊スポーツ 複数選手心折れ練習困難、湘南曹監督パワハラ謹慎へ 2019年8月13日

今季も試合後の控室でミスをした選手を激しい口調で責め、スパイクをけり飛ばす行為があったという。昨季限りで他クラブに移籍した選手の中には、シーズン途中で練習に出てこられなくなった選手が複数いた。

朝日新聞 「滑ってんじゃねーかよ」スパイク蹴る…湘南監督に指摘 2019年8月13日

上記のような行為は、(もし本当にあったのなら)厚労省の示す以下の定義すべてに該当する。

  1. 優越的な関係に基づいて(優位性を背景に)行われること → 監督が行う
  2. 業務の適正な範囲を超えて行われること(その態様が相当でない) → 暴言、扇風機やスパイクを蹴るなど改善指示を伝えるだけなら不必要な威圧
  3. 身体的若しくは精神的な苦痛を与えること、又は就業環境を害すること(当該労働者が就業する上で看過できない程度の支障が生じる) → 練習場に行けなくなる選手・スタッフがいた。嘔吐など身体性の反応を伴う精神症状が出た

監督の叱責が適正な範囲を超えていることは、ガイドラインでは以下のように示されている。特に扇風機等を壊す行為は、改善指示の伝達上まったく不必要な行為であり、事実であれば疑義なくクロ判定となるだろう。

②「精神的な攻撃」
・「馬鹿」「ふざけるな」「役立たず」「給料泥棒」「死ね」等暴言を吐く。
・大勢の前で叱責する、大勢を宛先に入れたメールで暴言を吐く。
・十分な指導をせず、放置する。
・指導の過程で個人の人格を否定するような発言で叱責する。
・ため息をつく、物を机にたたきつけるなど威圧的な態度を取る。

「選手の受け取り方次第だ、合わない選手がいても仕方がない」といった意見も見るが、これも法的には顧みられる余地はない。そもそも、うつ病など一部の精神疾患は効く薬が見つかって以降薬理や病因の解明が進み、関与する神経伝達物質など生化学的側面が重視されるようになっており[参考][参考]、単なる「気持ちの問題」で片づけることはなくなっている。(語弊を覚悟で言えば)ストレス耐性は生まれつきの個人差もあるので、すべてを努力などに還元するわけにはいかない。「たまたま選手のメンタルが弱かったのでゴミ箱を蹴って怒った程度で心が折れただけ」というのは「たまたま選手の体が弱かったので蹴って怒った程度で骨が折れただけ」というのと変わらず、おおよそ容認される発言ではない。

また、報道内容をJFAの懲戒規定に照らせば以下の2つが該当するだろう。特に練習に出られなくなった選手が復帰することなく退団したようなことがあれば、最悪無期限資格停止に相当する(もちろん事実でなければ相応の処分になるだろう)。ただ、この規定に改訂されたのがこの5月のことなので、不遡及とするのであればこの限りではない。

暴言等を繰り返し、被害者が強い嫌悪感を覚える等の苦痛を感じ、被害者及びその周囲の者の当該所属チームでの活動に支障が生じた(暴言等を受けた被害者が当該所属チームでの活動を一時中断せざるを得なくなった、指導者におびえ萎縮して当該所属チームでの活動が阻害された等):1年間のサッカー関連活動停止

暴言等を繰り返し、被害者の心身に重大な障害を与えた、又は被害者が退団する等、当該所属チームでの活動を中止に至らせた:無期限又は永久的なサッカー関連活動停止・禁止、除名

報道に出ていることが事実かどうか現在のところ我々に知ることはできない。当初被害を受けたのはライザップからの出向社員とされていたが、ライザップ側がそれを否定するなど、報道も安定しない。

ただ、状況証拠は存在している。湘南のイヤーDVD(2018)に収録されたロッカールームの様子は、一般企業ではパワハラと判定されてもおかしくないという見方が多い[参考]。また、移籍選手のコメントの中に、練習場に来ることができなくなったことを示唆するものもある。調査に値するかしないかで言えば、値するものであろう。

今シーズンは満足にサッカーができないくらいコンディション的にもメンタル的にも苦しい1年を過ごしてきました。ピッチから離れることもありました

高橋諒選手 松本山雅FCへ完全移籍のお知らせ  2018.12.27

以前にAFCの懲罰について調べていた際に気が付いたのだが、FIFAは(アマチュアも含めた統括団体であることから)ゲームが開催できること、選手がプレーできることを最重要視しており、それ以外のこと、例えばクラブの収入や成績はそれに比べたらどうでもよいこととして扱っている。1人の選手を練習場にも来られないほどに追い込んだとしたら、湘南がいくら好成績を上げようとも、監督がいくら好選手を育てようとも、FIFAの価値観ではそれは一顧だにされない、というのが原則ではないかと思われる。

「スポーツ界は特殊」は通用しない

監督を擁護する意見で2番目に多く見るのが「スポーツ界は特殊であり一般労働環境とは違う」「他の監督もやっている、業界全体に影響が及ぶ」といったものである。

「スポーツ界は特殊であり一般労働環境のパワハラの定義は適用できない」という意見については、明白に否定される。公序良俗や公益の保護を目的とした法律は、業界の慣習に勝つ。サッカー界で法律が慣習に勝った代表例はボスマン判決である。業界の慣習として認められていた選手の保有権が、労働者の権利を定めたEC条約第39条の1(現在のEU機能条約第45条)に違反し無効とされた判決である。パワハラの禁止はこれと同様に労働者の保護を目的としており、業界の慣習が法律に打ち勝つ可能性はほぼない。

「他の監督もやっている、業界全体に影響が及ぶ」という意見についても、(少なくとも建前上)顧みられない可能性が高い。JFAは「サッカー界から体罰や暴力行為を撲滅」「サッカーの活動における暴力根絶」等の標語を掲げており、どの監督も告発されれば槍玉に上がることは確実である。報道の内容が事実であれば、裁判で争ったとしてもパワハラと見なされる可能性が高い案件であり、一罰百戒的な懲戒が与えられる可能性すらあるだろう。

諸外国もまたスポーツ界のパワハラでもがいている

もう一つ気になったのが、いわゆる体育会系的シゴキ文化を日本固有であるかのように扱う言説がそこそこ見られたことである。これは間違いで、諸外国でも体育会系における体罰、しごき、先輩後輩関係によるいじめはかつて日常茶飯事で、日本と同様にこの30年ほどで急激に浄化が進んでいる状況である。

そもそも、日本のシゴキ文化は海軍経由でイギリスからもたらされたものである[参考]。戦前は、学校で体罰でもあろうものなら警察が飛んできたし、陸軍では徴兵反対運動を恐れ体罰は厳禁だったとされる。その中で、海軍だけはモデルとなったイギリス海軍の悪しき伝統[論文]であるシゴキが取り入れられていたのである。イギリスでは厳しい上下関係とシゴキ・イジメの横行は海軍だけのものではなく、パブリック・スクール等の学校でも同じであった[参考]。欧州で体罰禁止が広まったのは1990年代からであり[参考]、それ以前は教師や親が物理的な鞭でもって子供を折檻することが当然・公然に行われていたほどである[参考]。

パブリック・スクールはまた、様々なスポーツの近代ルールの発祥の地でもある。例えばサッカーはイートン校、ラグビーはラグビー校でルールが整えられた。この影響で、欧州、あるいは欧州から派生した米国のスポーツ界でもまた長らくシゴキの伝統が存在した。ドイツで長谷部を指導したことのあるフェリックス・マガトが「しごき魔」「拷問狂」等と呼ばれていたように、近年まで公然と行われていたと言ってよいくらいである。

スポーツ界においても1990年代ころには体罰・シゴキは禁止に向かうのだが、それでも散発的には取りざたされる程度には残っている。桜宮バスケ部事件の翌年の2013年には、アメリカの名門大学のバスケ部監督の体罰が明るみとなり解雇されている[参考]。しかもこの事件では、監督が成績優秀かつ指導された学生の擁護があり、半年近く非公開で軽微な懲戒にとどまっていた。

大学側が最初に事態を把握したのは昨年の11月のこと。その時はコーチに5万ドルの罰金と3試合の出場停止処分を課しただけで、公にすることもしなかった。この大学の生半可な処分にも批判が高まり、大学のアスレチック・ディレクター(体育部責任者)も解雇されることとなった。

……ただラトガース大の選手たちからはコーチを擁護する声も上がっている。「体罰的な行為はコーチのただの一面でしかない。彼は選手のことを第一に考えるコーチだった」とする意見や、「もしみんなが他の練習風景をみるチャンスがあったなら、コーチに対してそれほど厳しい判断を下さなかったと思う」などという意見もあった。一人の選手は、「次のコーチも、ライスさんのように毎日みんなを叱咤してくれるコーチだといい」と語った。

e-StoryPost  アメリカでもスポーツ体罰が問題に、名門大学バスケ部のコーチが解雇 2013年4月6日

擁護のされ方まで含めて今回の事件によく似ていると言えよう。日本だけの問題ではないでのある。

もう少し例を挙げよう。日本のサッカー育成界(あるいは学生スポーツ界一般)には罰走というものが蔓延っている。罰走は選手の能力や規律を高めるうえでの意味が薄い体罰であるとして批判も多い。これはアメリカでも同じであり、アイオワの高校のアメフト部で行われた罰走が体罰かどうかという議論になったことがある[参考]。結局体罰だということになり禁止されるのだが、それが全米共通の価値観かというとそうでもなく、禁止の効力はアイオワ州にしか及ばない状況で、学校での体罰を禁止していない州もまだまだある。体罰撲滅は30年前に本格化したものであり、日本を含めて世界のそこかしこに残っているのが現状である。

悪い態度や不出来なパフォーマンスの罰として、特別にランニングさせることはアイオワ州の高校運動部のフィールドから間もなく消えていくことになるだろう。

……米国は半数以上の州で学校での体罰を禁止している。アイオワ州もそのひとつ。

谷口輝世子 「罰走」は体罰か。米国の議論から 2017/8/28

終わりに

体罰やパワハラはどのような業界にも、どのような国・地域にも見られる。そしてそれを撲滅、根絶していくためあがいているのも、業界や国を超えて共通した課題であり、日本サッカー界もその例に漏れないというのが今回の事件についての穏当な認識だろう。今回の事件を曺監督個人の問題と考えず、他のクラブも、グラスルーツの指導者も、他の業界でも我がこととして考えていくべきではないだろうか。

また、近年のスポーツ育成の世界では、指導者の指導方針が急速に穏健化した一方で、親の認識があまり変わらず、成績を追求し体罰や叱責するケースもまま見られる。このため、様々な国で親の干渉を和らげるための方策が個別に検討されるような状態である。今回の件は、指導者のみならず、子の親も考えるべきことが多い話題であるように思う。

ライセンス

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