外国語の固有名詞の基準点

日本人が欧州の有名どころ以外に移籍することが増えるにつれ、固有名詞の読み方の扱いが話題になることも増えてきた。代表的なのがベルギーの都市ブルッヘで、現地読みではブルッヘなのだが、日本語での観光案内ではフランス語読みのブリュージュや英語読みのブルージュのほうが多く使われており、表記が安定しない。

表記を安定させるには何らかの基準点を置いたほうが良いと考えるが、その基準の置き方をいくつか挙げてみよう。

外務省基準

一つの基準点は、外務省(大使館)の採用している読み方をそのまま流用する方法である。例えばベルギー大使館は「ブリュージュ」を採用しているので、当地のクラブのカタカナ表記はクラブ・ブリュージュかクルブ・ブリュージュになる。

この方法をとるメリットは、日本語で最も普及した読み方を採用できる可能性が高く、報道関係では多くの人に誤解なく伝わることが期待できる、という点だろう。

欠点としては、外務省がカバーしていないマイナー都市や人名の表記で基準となる模範例が見つかりにくい、ということになるだろうか。

現地読み・本人母語(エンドニム)基準

一番確実と思われるのが、都市であれば現地読み、人名であれば本人自身の母語による読みを採用する方法である。初出例の場合は「ブルッヘ」になる。この方法は、ほとんどの場合で「正解」を一意に決めることが出来るので、採用しやすい方法である。

「ほとんど」と書いたが、例外もある。例えば、スペイン語やポルトガル語には「ll」表記をL扱いで読むかY扱いで読むかJ扱いで読むかという揺れ(ジェイスモ)が存在し、方言的に分布しているうえに混在地域(下記の図では薄紫)もある。特に混在地域では「現地読み」を一意に決められないので、Mallorcaを「マリョルカ」とするか「マヨルカ」とするか「マジョルカ」とするか決めることが出来ない。

Yeísmo

人名では、特に国籍も移した移住者の「母語読み」が定めにくい時がある。これは筆者の体験談なのだが、アメリカで会ったGaloisさんを、フランス出身者と推定してガロワさんと呼んでいたのだが、本人は2世で「親はガロワと言ってるけど自分はガロイスと名乗っているよ」と言われたことがある。今のサッカー界には移民、移民2世はあふれており、アメリカ人のPulisicをプリシックと呼ぶかプリシッチと呼ぶか、Mbappéを本来の読みであるムバペとするか、本人の生まれたフランスの読みでエムバペとするかなど定まりにくいことが多い(Wikipedia情報によると本人自称はエムバペのようだ)。

また、この方法を杓子定規に当てはめると、オーストリアをエスタライヒ(Österreich)と表現する必要があるなど、日本語でなじみのある表記から外れる可能性があるのも悩ましいところである。

現地実況基準

あるリーグでプレーしているのであれば、リーグの現地実況で使われている読み方を採用するのも手である。近年は現地実況でも選手本人のエンドニムを採用する傾向にあり、プレミアリーグでもGiroudはジロードではなくジルー、Kovacicはコバシックではなくコバチッチと実況される。

ただ、first nameのように欧州で共有されている名前の場合まで気が及ばないらしく現地読みがそのまま使われることが多い。セルヒオ・アグエロは英語実況を聞いているとセルジオ・アグエロと呼ばれていることがままある。これはプレミアリーグの例だが、他のリーグ・多言語でも傾向は同じだろう。

この方法を採用した場合、リーグを移った場合に表記が変わってしまうことがあるのが大きな問題だろう。また、ベルギーのように一国内に複数の公用語があるときは地名の扱いが難しくなる。

英語基準

英語がメジャー言語なので英語で統一するというのは、個人的にはあまりいいとは思わないが、一つの方法ではある。実際、フランス人選手のヴァーレル・ジェルマンは、スポーツナビでは「ヴァレル・ジャーメイン」と書かれ続けている[*脚注1]。

海外リーグを日本で視聴する場合、日本語実況が付かない場合は、汎用海外向け放送として英語実況が入りのものが放送されることが多い(日本でなくともそうだろう)。この手の英語実況者は現地読みに精通していないことが多く、スペルをそのまま英語風に読む場合がままある。このようなケースを考えると、やむを得ないのかもしれない。

聞き取り基準vsスペル転写基準

エンドニムかリーグ実況かどちらかの基準を採用した場合、もう一つ基準点を追加で定める必要がある。現地読みをカタカナで書きとる場合、「日本人にとってそう聞こえた」ままに書きとる場合と、もともとのスペルが復元できるようにしておく場合の二つの流儀がある。大まかに言えば、英語のWhat time is it nowは英語の学習をせずに聞き取ると「堀った芋いじるな」と聞こえる[*脚注2]が、スペルの復元しやすさを考えれば「ワット・タイム・イズ・イット・ナウ」と書く、という違いである。

サッカーで有名どころでは、ポルトガルやブラジルのRonaldoは一般的に「ロナウド」と書くが、Rの有声口蓋垂摩擦音[ʁ]がハ行に聞こえる人で「ホナウドが正しい」と執拗に主張している人がいる(日本語のハ行は無声声門摩擦音[h]なので結構違う音である)。

末尾子音も扱いが難しい。例えば、バリャドリッドについて末尾の子音が聞こえないとして「バリャドリ」と表記する人もいる。ただ、スペイン語は母音が多い言語のため末尾の子音が聞こえないことが多いものの、フランス語のように無声化しているわけではなく、バリャドリッドの末尾のdは英語並みに発音しているので、転写から落とすのは「聞き手の感覚」を出しすぎの感もある[*脚注3]。しかし、広東語の入声の場合――例えば「広州富力」の「力」は転写上はlikと書き、「kの発音をする喉の形で発音を止める」という発音の仕方をする。入声慣れしていない日本人には力のlik(6)と擸のlip(6)の発音を区別するのはまず不可能だが、慣れればできる。このくらい弱い発音を入れるか落とすかは悩ましいところである(昔の日本人は入れる選択をし、日本語標準の音読みは「リキ」になっている)。

「現地読み」と一口に言っても、こちらのほうも基準を定めなければならない。

 

[脚注1] ジャーメイン良も同じスペルである。

[脚注2] 実際、iPhoneで英語キーボードにしたうえで音声入力に「ハロー、グーッド、堀った芋いじるな」と言うと「Hello good what time is it now」と出るので、「聞いたまま」もあながち間違っていない。

[脚注3] 「バジャドリ」「バヤドリ」という表記も見るが、バリャドリッドは(「標準語」マドリッドと同じく)非ジェイスモ地域であり、エンドニムは「バリャドリッド」が妥当な転写であることは間違いない。

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