オリンピック・マルセイユと酒井宏樹の1年

この半年ほど、オリンピック・マルセイユというクラブを追いかけていました。経緯は以下の通りです。

  • DAZNを下見する目的で昨年12月から加入していて、3か月ほどJ以外を見ていた。
  • ちょうどその12月から酒井が活躍しているという話が流れ、所属するマルセイユというクラブの事情含めて面白いと感じた。

 

凋落した古豪、マルセイユ

マルセイユはかつてリーグアンでPSGと双璧を成していた強豪である。2016年夏、マルセイユには強豪の影も形もなかった。直前シーズンは13位、加えて主力選手が次々放出されている状態だったからである。クラブオーナーのマルガリータ・ルイ・ドレフュスは、実業家の夫ロベール亡き後その保有権を相続していたが、彼女は率直に言えばトロフィーワイフ(金持ちになってから捕まえたロシア美女)にすぎず、彼女の手にはこのクラブの経営は手に余る状況であった。彼女はクラブの売却を表明し、売値を最大に高める手段をとる――選手の売却である。クラブが保有する選手の「評価額」はあくまで推定値に過ぎず、また違約金の形式をとる現在、実際に売却できる額は流動的である。彼女は早く・高くクラブを売却するため、優良選手を売却し移籍金を得て帳簿レベルで資産価値を高めようとした。これにより、バチュアイ(39M€)、メンディ(13M€)、エンクドゥ(11M€)、マンダンダ、マンキージョ、ジャ・ジェジェといった主力選手は悉くクラブを去った。

一方で、減少した選手を補いチームとしての体裁を整えるため、新しい選手を集める必要もあった。資産を減らさないため、移籍金のかからないフリー選手やレンタル選手をかき集めるようスカウトに指令が下された。酒井宏樹は2部降格したハノーファーに所属していたが、双方合意の上フリーの身分となっており、彼をリストの端に乗せていたマルセイユスカウトはこのタイミングで彼を獲得した。2016-17シーズン開始時のクラブのメンバーは以下のような状況であった。

  • 8名=売れ残り(当時の推定評価額1.5M以下)
  • 5名=少額獲得(1.5M以下、フリー)
  • 6名=レンタル
  • 7名=レンタル帰り
  • 1名=金をかけて獲得

ただ、オーナーは2016-1017シーズン中に売却を完了するつもりであったので、移籍金がかかりさえしなければ給料は悪くないものであったようで、レキップ紙推定の平均年俸はリーグ6位に位置していた。期待はできないが、ポテンシャルは低くない――これがシーズン開始当初の状況であった。

シーズン開始からしばらくは昨年成績とあまり変わらずパッとしないもので、降格圏すれすれの順位が続く。メンバーも昨年の主力がまったくおらず手探りの状況で、プレ、トヴァン、ゴミス、酒井を除けば毎試合入れ替わるありさまだった。酒井も監督のパッシには頑張りは評価されていたが、1対1で抜かれることも多く、安泰というより控え不足で出ざるを得ない状況であった。

復活の息吹

10月にやっとクラブ売却が成立し、次シーズン以降を見据えた新監督としてリュディ・ガルシアが招聘される。ガルシアは就任直後の6節は1勝3分2敗とふがいない成績ではあったが、この間にフォーメーションを変え多くの選手を入れ替えて試している。酒井もマルセイユで初めてスタメン落ちを経験するが、そこでフィールド外から試合を見たことで試合への入り方が大きく変わったという。守備に関しても、リーグアンに多い瞬発力勝負を仕掛けてくるアタッカーに対応するため、裏を取られないようお見合いになる方法を捨て、相手が前を向く前に潰しに行くアグレッシブな守備に切り替えたという(インタビュー

12月に入り、ナンシー戦でシーズンで初めて内容に結果が伴った「勝ちらしい勝ち」を挙げる。その後年末までに中位クラブ相手に4連勝をあげ、6位まで急浮上した。この時期はマキシム・ロペス、トヴァン、酒井の右サイドで試合を作ることが多く、やっと勝ちパターンを得て安心したマルセイユサポーターから酒井への評価は高まった。トヴァンはニューカッスルに移籍していたものの満足な出番がなく、古巣の危機もあって給料引き下げを飲んで戻ってたこともあり、サポの人気は非常に高かった。ロペスは11月の試行錯誤の時期に見いだされた18歳ユース上がりの新人で、有望な「ウチの子」の出現はサポーターを喜ばせた。なお、筆者がDAZNの下見で加入したのがおおむねこの時期で、活躍したらしいという噂のあったことでこのあたりから見始めている。

停滞と期待

年が明けて1月に入ると、マルセイユは上位陣との連戦がスケジュールされていた。上り調子でもしかしたら……という期待があったものの、それは裏切られる。モナコにはシーズン前半にも0-4の大敗を喫しているが、1月はモナコに1-4、リヨンに1-3で連敗、さらにPSGに1-5で大敗してしまう。内容も著しく悪く、MFでパスをひっかけられ攻め手がないままショートカウンターで簡単に失点してしまうというものであった。

シーズン後半からフランス杯にリーグアンのチームが参加するようになるが、マルセイユはそこで最悪のクジ運を見せ、2~5部のクラブが過半数を占めるにも関わらずトゥールーズ、リヨン、モナコとリーグアン上位のチームとばかり当たることになる。しかしそれは、リベンジマッチのチャンスでもあった。3試合いずれも延長戦にもつれ込む激戦となったが、トゥールーズには順当に勝利、エースのラカゼットを出場停止で欠くリヨンには守り切って勝利、モナコには3バックに変えて挑み、1-1から3-3まで3度の同点としたものの、最後は4-3で敗れた。酒井はそのいずれの試合でも後半~延長戦にかけて出色の働きを見せ、特にモナコ戦では終了間際の果敢な攻撃で同点アシストを記録した。酒井はそれまでbon recrue(良い新人)という扱いだったが、この試合を契機にguerrier(=warrior)、soldat (=soldier)、samouraiといった二つ名で呼ばれるようになる。アグレッシブなスタイル、格上相手にも決してあきらめることなく最後まで戦う姿勢が評価されてのものであった。

カップ戦で上位陣に対抗できる兆しは見えたものの、今度は下位相手の取りこぼしが目立つようになる。上り調子のマルセイユに対して引いて対抗してくる相手も増え、崩しのパターンが見つからないまま、ゴミスやトヴァン、サール、あるいは冬獲得したパイェやサンソンの個人技で辛うじて点が取れれば勝てるが、そうでなければポゼッションしたまま攻めあぐね、カウンターで容易に失点するシーンが目立った。2月の時点ではリヨンの背中も見え、全勝すればぎりぎりニースに追いすがってCLも不可能ではないという時期であり、勝ち点3を取らねばという焦りがあったように感じられた。

シーズン最終盤の残り9試合ほどになると、3~4位は諦め、下から上がってきたボルドーやサンテティエンヌとの5位争いをしていくことになる。この時期は2~3月の反省から失点しないことを重視した腰の引けた試合が目立つようになり、引き分けで勝ち点を失っていき、5~6位を行き来した。それでも最後は奮起し、サンテティエンヌとの直接対決は勝利、3位ニースを倒して5位浮上すると、ボルドーとの直接対決を引き分け、最終節に勝利して自力5位確定、来期ELの3次予選からの出場を決めた。なお筆者は4月以降はフランスが夏時間になり日本での試合開始が朝4時になったため、さすがに起きることができず生観戦はしていないのでこのあたりの記述はあっさり目になるが勘弁していただきたい。

前評判を見返した現メンバー

最初に書いた通り、今期のマルセイユの前評判は芳しいものではなかった。それを覆してヨーロッパのコンペティションに戻ってきたのは素晴らしいものである。そしてそのメンバーは:

  • 自らの給料を下げてまでマルセイユに戻ってきた任侠の男、トヴァン
  • 不毛の大地から芽生えた我らがユースの子、ロペス
  • 控えから危機に際して底力を見せたプレ、アンギッサ、ロランド
  • 移籍金ゼロ、期待ゼロから意地を見せた酒井

など、いわば「世間の評判を見返していくアウトサイダー」を体現したものであり、最初は勝てないもの、徐々に勝ちを重ね、中盤で上位に一度屈するものの、一つ一つリベンジを達成していき、名門の誇りを取り戻していった、それがリアルとなったドラマだった――というのが今期私がマルセイユを追いかけ続けた「見どころ」だった。面白いチームであったと思う。

来季の展望

新オーナーによると、マルセイユはこの夏最も大規模な投資を行うとのことで、選手が抜ける可能性が高いCFWと、弱点とみなされているCB、左SBの補強が最重要課題になってくると考えられる。また酒井も控えがいないという状況でカード累積での出場停止時には代役不在で困っていたので、右SBの補強もありえるだろう。海の向こうではヴェンゲル解任の噂があり、アーセナルがらみのベテランフランス人の多くにマルセイユ移籍の噂が立っていて、ひとまず集める人には困らなそうである。またEL予選を勝ち残って本戦出場が確定すれば試合数も増えるため、ターンオーバーのためにより補強が進むだろう。

戦術面では、引いた相手を崩す手段のなさはシーズン最終節まで解決しなかった。ただこれは「今いる選手で来季の下地作りをする」というガルシアの自己制約的な面もあり、来シーズンには解消されることが期待される。

酒井本人に関しては、守備面では逆サイドからのクロスで横を向かされた時に隙ができやすいこと、試合日程が密な時に戻りが遅くなること、攻撃面でアタッキングサードに侵入してからの視野の近さとアイデアの不足(これはガルシアからも指摘されているそう)などが課題になるだろう。

マルセイユの気概の話

酒井がマルセイユに移籍した当初は、マルセイユのサポは過激で活躍できないとバッシングが過酷であるということがクローズアップされていた。実際、以前マルセイユに在籍していた中田浩二に対する態度は厳しいものであった。しかしシーズン中盤から酒井が活躍し始めると途端に持ち上げ出し、目立ち始めたばかりの年末の段階でも、PSGサポとの煽りあいで「酒井>オーリエ」という比較が飛び出すなど、むしろ褒めすぎな印象もある発言も少なからず見かけた。もともとマルセイエーズは何事にも話が大げさだというステレオタイプがフランス国内でも流布しており、選手に対する上げ下げの激しさもそういうところからきているのかもしれない。

また、マルセイユは治安が悪いといわれる。酒井自身もそう発言しているし、チームメートのトヴァンは強盗に遭ったこともある。しかし、旅行者の評価では、確かにガラは悪いが、町行く人が悪い人というわけではなく、他都市と比べ犯罪の危険が切迫しているようには感じない、というものもある。

断片的な見方ではあるが、マルセイエーズはあえて言葉を選べば「マイルドヤンキー」気質なのだというのが今の私の理解である。今のチームではトヴァンが一番人気だが、実績はもちろん、身を切ってマルセイユに戻ってきた任侠っぽさが評価されているようにも思える。酒井のプレースタイルもともすれば「馬車馬」的であり、世間一般ならばそこそこの評価にとどまるだろう。しかしマルセイェから見れば、格上相手にも臆さず、試合終盤でも戦う姿勢を捨てず果敢にプレーする酒井のスタイルは、guerrierとして評価が高いというのは納得できる。少なくとも彼は、その不屈の闘争心が「マルセイユの魂を体現している」と評価されているのは確かである。

酒井は果敢なプレースタイルが現監督リュディ・ガルシアの攻撃的戦術と相性が良いが、不屈の馬車馬精神がサポに受け入れられやすい土壌なのは、これまた相性がいいのではなかろうか。