20年前のデータサッカー、または岡田武史の先見性と不足していたもの

 岡田武史評価企画なのですが、時間がない時に雑に書いてるので、至らないところはご指摘願います……後で改定します

データ活用だけなら20年前からやっている

 昨今「データを活用しろ」などと喧しく言われているが、単にデータを取って戦術に落とし込もうなどという活動ならば、JリーグがOptaの活用を始めた2000年代には盛んになっている。例えば、山本昌邦がよく言っていた「奪ってからパス3本以内でシュート」の話などはデータをもとに戦術を決めようという試みの一環だったと言えよう。この「奪ってからパス3本以内でシュートしろ」という方針は定着せず今に至るが、これはデータ(統計)の基本的な扱いが分かっていなかったからという部分があるだろう。例えば、

  • hit, false alarm, miss, correct rejectionの区別ができていない
    • パス3本以内で攻撃に成功しなかった場合が勘定に入っていないなので成功率の評価さえできていない
  • 相関と因果の区別がついていない
    • 因果としては「ロングカウンターでの得点が多かった結果深い位置からパス3本以内の得点が多かった」のようなこともあろう。パス3本がシュート位置の好適性を必ず高めるわけでもない
  • 小さなサンプルに過剰適合している
    • 後の時代には高い位置でボールを奪ったりパスを多く回す方法が成功していて、この当時の狭い時期のトレンドに過剰適合して時代の変化についていけない

など、大学1~2年で習うような基本的なデータの扱い方ができていない。こんなデータの扱い方ではまともな改善試験サイクルは回せなかったろう。ついでに言えば、山本昌邦の貼っている表と文章を読むと「得点に至るパスの数」と「奪った位置」のクロス集計表が欲しくなるし、奪った時の相手のオフサイドラインの高さなど補正項も欲しくなるところだが、そういった発展には向かわなかった。

岡田武史の先見性

 岡田武史は2010W杯での成功で注目を集め多くのインタビュー()が行われたが、そこに見えるマリノス時代の指導方針は興味深い。当時の流行のように「データを生かすサッカー指導」を試みているのだが、そのうちでもモデリングが適切であるように思われるからである。その要素を抜き出すと以下のようなものになるだろう。

  • サッカーでは、選手は相手ゴールに向かって球を運ぶことを目的とする。
  • 相手の守備が薄いところを突く=相手ゴールに到達する確率が経路を選択すれば容易に目的を達成できる。
  • 相手の守備の厚みが同じなら(ゴールに近い)中央のほうがよい。なので普通は中央は固められる。
  • サッカーは11人で行う競技であり、人的リソースには限界がある。中央を絞ればサイドが空き、サイドを守れば中央が薄くなる=サイド守備と中央守備はトレードオフの関係にある。
  • 攻撃側は、サイド攻撃・中央突破のどちらも選べるようにしておき、相手が中央を守っていればサイドを、サイドを守っていれば中央を攻撃すれば常に相手の手薄なところを攻略できる。

 ゴールとフィールドの形が決まっていてゴールに球を運ぶ競技である以上ゴールとボールの位置関係が重要であるとか、サイドと中央で相手の守備が手薄な方を選んで攻撃するのが最適であるとか、このあたりは昨今もてはやされるポジショナルプレーと問題意識は共通しているのではなかろうか、と思える節がある。トレードオフの関係はサイド/中央の守備に限らずサッカーのあらゆる場面に出現する。攻撃に人数をかければ守備の人数が減る。ラインをあげればショートカウンターは狙いやすくなるが縦一発で沈められる。攻撃側は守り方がトレードオフ関係にあるどちらの攻撃経路もとれるように戦術的幅を持たせておき、相手の守り方を見て常に後出しジャンケンで勝利する。現在サッカーが向かっている方向性はこういうものだというのが私の認識で、マリノス岡田は同じものを志向していたというように思われるのである(筆者はサッカーの専門家ではなく、筆者がサッカーについてモデルを立てろと言われれば大雑把にこのようなモデルを立てるだろうというところもあって現場で得られる知識と齟齬があり間違っている可能性も大いにあるが)

岡田武史に足りなかったもの

  岡田は「サイド守備と中央守備は両立しえないので相手の出方を見て選択できれば効率的である」という理解を得ていたが、それを選手のタスクに落とし込むところで壁にぶつかった。選手はサイド攻撃か中央攻撃かどちらかしかできなかったのである。岡田はこの壁を選手のクリエイティビティ、ファンタジーを引き出す方向で解決することを試み、人間力的なオカルトじみた方向に行ってしまった。

 一方、欧州では別の方法が発明され、成功した。選手に「サイド攻撃と中央突破の選択権を持っている」ことを意識させるため、あるいはそれを実用的に運用できる程度のパス距離を維持するため、両者の中間領域であるハーフスペースを定義し概念を植え付け、ハーフスペースでのボール維持と、そこにボールがある場合のプレー選択の判断基準とタスクを定義した。もちろんポジショナルプレーをよく知る方は「ハーフスペースの意義はそんなものではない」とおっしゃられるであろうが、少なくとも岡田が目標としていた試合中のサイド・中央の攻撃経路の選択はこれで実現可能なのは確かだろう。

結び

 というわけで、私個人としては、日本サッカー界の監督たちの問題意識やサッカーという競技の捉え方は、おかしなものではないのではないか、という印象を抱いている。少なくともJリーグで優勝できるような監督は、世界の最新の理論とやらを理解できるだけの土壌、萌芽を持っているように思える。

 しかしながら、逆に岡田武史の限界から、問題も見えてくる。日本サッカー界には知識の体系化・共有と、共有者の増加による改善の増加、末端や門外漢からのフィードバック=ブラッシュアップが足りていないように思えてならない。山本昌邦の統計の不適切な扱いは大学院修士で実験を行っている人ならば容易に指摘できるものであるし、岡田武史がアドバイスを求めに行っている相手は岡田武史の問題を解決するのに適切な人であるようには思われない。ただ、今の欧州サッカーはとにかく金があっていろんな専門家を呼んで試行錯誤もしやすい段階であるから、個々人の質というよりは量の問題かもしれないが……

  ……ラストに一つ言えば、「データを活用しろ」「今のAIはすごい」というようなことをいう人は多いが、前世紀のAIであるアキネイターも作れないような連中、線形分離可能かどうかという発想さえない連中の言う「AI」は所詮バズワードであり、因果と相関の区別や擬似相関について学部生レベルの理解さえしていない連中の言う「データ活用」は聞き流して構わないと思われる。