#サッカーに物申すには歯を食いしばっても予想しろ

近年、インターネットを含む情報流通の進展により、サッカー界にも様々な「最強チームが実践する最新理論」的なものが流れ込むようになってきた。そういった「最新理論」にも様々なものがあり、時にはそれらの中で矛盾するものもある。では、我々はどの理論を信じたらよいのだろうか。

理屈をこねるだけで後付けの解釈だけでいいのなら、そんなことは宗教家でもできる。また、小難しい理屈を並べてはいるが、その実は単なる虚仮威しのハッタリであり、表面的な難解さで反論や批判を煙に巻こうとしているだけのこともある(有名な例では「『知』の欺瞞」など)。単に理屈っぽいものを並べているだけでは、何ら説得的ではないし、聞く必要もない。

では、耳を傾けるべき理論とは何か。それは、再現性とそれに由来する予測力を備えている理論である。少なくとも予測が当たるなら役に立つ。よりよく予測が当たるようシステマティックに改善される理論は、科学的理論と呼ばれる。そのような性質を満たす理屈は、耳を傾ける価値がある。したがって、サッカーの実践面で理論を持ち込もうという人は再現性に気を使うべきだし、再現する立場にない評論家が論理を持ち出すなら、その理論の実用性を証明するため予想を続けて山勘より当たることを確認するのが誠実だろう。

予想を口にするのは、ある種の呪いである。予想が外れたら理論の信頼性が揺らぐし、ショックである。だが、科学的理論とはそういうものである。今まで多くの科学者たちが、予想し、予想が外れたらなぜ外したかを検討し、新たな理論を作り、予測力の低い理論を破棄し、それを繰り返して予測力の高い理論となるよう洗練させてきたのである。サッカーに科学的理論を打ち立てようとするなら、その作業を免れることはできない。

(特に実践家でない人が)サッカーに対して真摯に向き合い、本気で見る目や勝てる手段を培っていきたいと思うなら、恥をかくのを恐れず、馬鹿にされる覚悟で、歯を食いしばってでも予想しなければならない。予想を書くことで自分の理論を客観視し、磨くプロセスが必要だ。外したとしても、自分の理解度がどこまで到達しているかの確認テストになると思えば気が楽だろう。どうしても外向けに発表するのが恥ずかしいのなら、せめて自分の手元では予想を明文化し、客観視する機会とすればよい。

予想しないのに後付けの解釈で理屈だけベラベラしゃべるような手合いは、一家言あるふうを装いたいだけのハッタリ野郎なので無視しても問題ない。私はそういうハッタリ野郎にはなりたくないので、何か理屈めいたものを書きたくなったら、#サッカーに物申すには歯を食いしばっても予想しろ というタグをつけて予想という形でツイートしていくことを心掛けたい。恥をかくことを恐れず、外れたら論理の予想力が低いので批判を受けるに足る理論しか作れていなかったのだと反省の材料としたい。

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